奥村光信氏を御存じだろうか。GPSがなかった1980、90年代、鈴鹿を中心に、素晴らしい手書きの地図を多数作成され、(私が思うに)”手書き登山地図(絵地図)”という新しいジャンルを開拓された方である。登山道の特徴を的確に把握し、それを正確に描画する画力・・・という二つの素晴らしい才能を持っておられた方である。
奥村さんの地図は、長い間、鈴鹿山地沿線の三岐鉄道の駅などに置かれており、年配の方は、お世話になった方も多いと思う。私にとっても、藪山のような鈴鹿で必需品だった。
私は約40年前の1987年、奥村さんから直接、大量の手書き地図を頂いており、今回の調査において確認したところ、奥村氏が「後藤ぶどう園」の後藤さんの案内で、1980年10月12日初めて猿投山を登った際の地図を見つけた。
で、そこには、’現在’の武田道分岐のベンチとその上の鉄製桟橋の間に、崖のイラストとともに、大崩壊地形・柵(サク)と書いてあったのだ。誰でもわかると思うが、大岩展望台の西側である。
これを見た瞬間、「あぁあそこか!」と思った。確かに、あそこはガケ地形だし、御門杉から東の宮の間で、谷側に柵や擁壁がある危険地帯はあそこしかない(桟橋、観察路を除く)。また、大看板に記された大崩壊地形の位置は、素直に読めば’現在’の大岩展望台のすぐ西側だ。
ただ致命的に悩ましいことがある。奥村さんの多くの地図は、有志の方がネットで公開されている(urlは次項にあります)。念のため、公開版を確認したところ、公開版には、私が奥村さんから頂いた地図と微妙に違いがあり、肝心なことに、公開版には、大崩壊地形を「ガレ」としか説明していない。
悩ましすぎる。私が頂いた地図は奥村さんからの私信なので、(現時点では)ここでの掲載は避けたい。代わりに公開版の地図を掲載する(下図。画面クリックで大きくなります。)。

【図1】1980年の奥村さんの猿投山の手書き地図(公開版)
繰り返しになるが、公開版の地図(図1)は、1987年に私が奥村さんから直接頂いた地図と異なり、「大崩壊地形」ではなく「ガレ」としか書いてない。また、登山道脇の「柵」文字もない。
ところで、一応、上図について説明したい。避難小屋の上にあるベンチと標識は、現地を見れば、武田道分岐のベンチを指すことは間違いない(注:当時、武田道は一般登山者が歩くような道ではなかったのだろう。それで武田道分岐が書いてないと推測。)。で、ベンチの上にガレが示されている。ガレと登山道との間の”くの字”は柵を意味する。また、登山道がゲジゲジになっているのは階段を指す。現場が目に浮かぶ。奥村さんの的確な地図表現がわかってもらえると思う。
なお、なぜ大看板や奥村さんの地図に、大岩展望台が書いてないのか?と思われるかもしれない。おそらく当時、大岩展望台はなかったと推測する。なぜなら、このあたり、昔の資料を見ると、大岩に行かなくても展望が良かったのだ。実際、地図1を見て頂くと、観察路分岐に、「豊田市街の眺望いい」と書いてある。避難小屋ですら、眺望良しとかいてある本がある。今では信じられないが・・・。