挙母祭り2025-約150年ぶり?に、七州城に山車が来た 2025年10月18日

(作成2025-10-18)

挙母祭り2025-約150年ぶり?に、七州城に山車が来た

 江戸時代、挙母藩の城(桜城)は、当初、市街地に存在したが、度重なる矢作川による水害をうけ、高台の童子山に移り、七州城と呼ばれた。七州城は江戸時代の終わりとともに破却され、その跡地は、童子山小学校・東高を経て、現在、豊田市美術館・博物館となっている。


 江戸末期に至る内藤家の時代には、挙母祭りの8輌の山車は、七州城の殿様の御殿の南側に、引き入れられていた。そこは、現在、美術館の噴水がある広場であり、童子山小学校時代は運動場だったところだ。


 江戸時代が終わると、山車が七州城に引き入れられることはなくなったが、なんと2025年、樹木の3輌の山車(南町、本町、東町)が、おそらく約150年ぶりに、元の御殿の前の広場に集結した。


(注:童子山への山車が来たことについて、厳密に言えば、2024年4月の博物館の竣工に伴うイベントで、神明の山車1輌が展示された。ただし、この時は、トラックで分解して運ばれ、昔、殿様に披露された御殿の前ではなく、より北側の博物館の中で組み立てられた。)



【余談】今回、山車は、隅櫓の脇の道を経て、旧七州城内に引き入れられた。しかし、江戸時代は、七州城に登る坂は、すぐ東側にもうひとつあり、そこを経て、樹木から山車は引き入れられていた。しかしながら、その坂は、岡多線(現在の愛環鉄道)の開削による地形改変でなくなってしまった。

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